どうしてインドへ

先日、塾生から「どうしてインドに行ったんですか」という質問を受けました。簡単に書きますと、初めて行ったのは、インドという未知の国への憧れがあったからでした。計画ではデリー、アグラ、バラナシ、ブッダガヤ、そしてコルカタからアウトという9日程度の個人旅行でした。しかも、今では考えられませんが、タイのバンコクで乗り継ぎで、現地の指定された旅行代理店に行ってインド行きのチケットを受け取るというものでした。何とかインドに入国できたものの、アグラで挫折してしまいました。
持ち物は、今でいうエコバック一つだけ。デリーでは念願のパンジャビースーツを超特急で仕立ててもらい、インドの服を着てタージマハルのあるアグラへ。そしてアグラからバラナシへは夜行列車で移動予定でした。そこで事件が起きたのです。自分が乗るべき列車を見つけたので、デッキに立っていた人にチケットを見せてこの車両で間違いないか聞いてみたら親切にも案内してくれ、この席だと指を差して教えてくれました。寝台列車でしたのでバッグを置いて靴を脱いでいたら、彼はスルスルとバッグを持って人ごみに紛れ、追いかけたものの姿を見失ってしまったのです。お見事。
無一文になった私は、旅を中断せざるを得なくなり、警察のお世話になることに。夜遅い時間でした。警察署には人が何人かいて、チャイ(紅茶)を出してくれたのですが、グラスの底にお砂糖が沈んでいるのに気づいた警官が、自分が右手に持っていたボールペンの芯を上にして、私の目の前でマドラー代わりにして混ぜてくれました。その時、ボールペンというのは、字を書くためだけにあるのではないのだと気づかされました。しばらくして、「今日はもう遅いから、明日来い」と言われ、どこで寝るのかと聞いてみたら、「外で寝ろ」と言われましたが、結局若い警察官が安宿に連れて行ってくれました。翌朝、同じ人が迎えに来て、「いいか、俺はあんたを宿に泊めてやり、朝食を食べさせてやったんだからな」と恩着せがましく言ったのですが、言われて初めて「えっ、そうだったの、この人が払ってくれたの?」と思った次第でした。

警察署に着くと、担当者に引き渡されましたが、何をするでもなく、イライラしてきました。朝食べたヨーグルトで胃がムカムカしてきて、今度は医務室に通され、担当になった警官が医者を呼ぼうと言いました。お金がないと言うと、「私が払う」と言ってくれました。薬と疲れでしばらく眠って目が覚めてから、「何か食べたいものはないか」と聞かれたので「ブドウが食べたい」と答えると、自分で外に出て買って来てくれました。新聞紙に包まれたブドウは埃で汚れていて引いてしまいましたが、にっこり微笑んで渡されたこともあり、感謝していただきました。
夕方、デリーに戻ることが決まり(パスポートもお金もないので、大使館に行きます)、手続きに必要な書類を渡され警察署を後にしていたら、担当者に「ちょっと待て」と引き留められ、胸ポケットに入っていた20ルピー紙幣を2枚渡してくれました。そして、「なんと可哀そうに」という表情で私を見送ってくれました。警察署からは、話はしませんでしたが銃を手にした人がデリーで列車を降りるまで、ずっと傍にいたように記憶しています。私は運賃を払わず乗車しています。列車内で偶然一緒になった男性に話しかけられましたので、デリーに戻る理由など話しました。そして、デリーに着いた時、その男性が、ここがデリーだと教えてくれました。そして、一緒に降りてタクシー乗り場まで連れて行ってくれました。それから、運転手に行先を告げ、私がお金を持っていないことを思い出したかのように、ポケットから50ルピー紙幣を出して渡してくれました。
深夜だったと思います。ようやく大使館に着くと、警備員が日本人の職員に連絡してくれました。そして、その夜から帰国するまで、大使館でアルバイトをしている学生のところ(日本人のたまり場になっていました)に泊めてもらうことになりました。
翌日大使館に赴き大使館員と話しましたが、「私には、どうしてあなたのような若い人達がこんな国に来たがるのかわかりませんがねぇ!!」と侃々諤々(かんかんがくがく)でした。親切にしてもらったと言って大使館を訪れる人はいないので、嫌なことばかりなのでしょう。最後に「これから両親に話してお金を送ってもらいますが、必ず返しますので日用品を買うお金を100ルピー貸してもらえませんでしょうか」と恐る恐る頼むと、「いいですよぉ!!」と睨みつけられ、「借用書を書いてもらいますからね!」そして、借用書を書いてお金を受け取ると、「私はあなたに100ルピー貸しましたからね!必ず返してくださいよ!」ということでした。
これまでインドの人々から受けてきた数々の親切を思い起こしながら、今、目の前にいる祖国の代表者の態度に「この違いは何なのだ」と困惑しきっていました。そして、インドには学ぶべき何かがあると思ったのです。パスポートと帰国便の手配ができた頃には、この国に2,3年住んでみたい、必ず戻ってくると心に誓いました。

それから5年後に念願叶って長期滞在することになりましたが、思っていた以上に精神面での学びを得ることができたことに感謝しています。